紅の天鵞絨6

 
珍しく真っ昼間から書斎に呼びつけられた。
「本日はどのようなご用件で」
声に若干の尖りを乗せても、男はいつもと同じで泰然としている。
次の瞬間男の口から発せられた言葉は、まったく予想もしていないことだった。
「お前を私の秘書にする」
「は……」
「第一秘書を首にしたのでな、後継が必要なのだよ」
よく分からない発言に固まる頭の隅で、第一秘書と聞いて思い出すのは……あいつか。嫌な思い出が蘇る。けれど、何があったかは知らないがいなくなるのは僥倖だ。
だがだからといって俺にそのポストが回ってくるのはおかしい。
「ブリタニア人が国会議員の秘書になるなどと……本気ですか。そんなことをして、売国奴などといらぬ誹りを受けるのでは?」
「そんなものはどうとでもなる。むしろ向こうの皇族方の事情を知るお前を内に取り込むことは好都合以外の何物でもない」
「俺がブリタニアとは日本に来て以来すっぱり切れているのはあなただってよくご存じでしょう……。何も役立つことなどありませんよ」
「本人の人柄というのは外部からでは得難い情報だ。相手がどのように考えるか。お前ならチェスの手を読むように分かるのではないか? 今更祖国を売るのが嫌というわけではあるまい」
そう言って議員はにやりと笑う。
俺がいくら反論しようとも、目の前の男はもう心を決めている顔だ。
確かにもう俺にブリタニアを思う気持ちなど残っていなかった。母は死んだし、義理の兄妹たちとももう縁が切れている。しかしこいつの秘書になるなど絶対ごめんだ。
――また、政治の道具に使われるなど……!
 
 
「だからお前も大学に行きなさい」
「は……」
また耳を疑う言葉。
「スザクと同じところに通わせてやる。政治系の学部だ。そこで十分勉強して将来は私の右腕となれ。なんなら院まで行かせてやってもいい」
「……では東京に移り住むということでしょう? 妹は、妹はどうなるんですか!」
「妹は治療施設に入れてやる。今よりももっといい治療と、ちゃんとした教育を受けさせてやろう。もっともお前の働き次第だが」
ナナリーと離れて暮らさなくてはならないなど考えられない。人質のようなものじゃないか!
そこまで手を回されているとは知らなかった。本気なのだろう。もう俺に出来ることは……
「断らせてはもらえないのでしょうね」
乾いた笑いが漏れる。俺に出来ることなど何もない。
どうせ俺達は枢木に囲われている身なのだから。

 

■■■■■

あれから僕は、生き方を変えた。
今まで気がつかなかったけど、僕はルルーシュに依存して、枢木という家名に頼っていたのかもしれないと、思うようになった。
これからはルルーシュを守れるように。強くならなくちゃならない。

父さんに呼び出されて母屋へ行ったルルーシュが帰ってきた。今日は本当に父さんと話していただけみたいで、出ていった時と変わり無い様子でひとまず安心する。でも少し考え込んでいるような表情だった。
「ルルーシュ、おかえり」
「ああ、ただいま。ナナリーも……」
「おかえりなさい、お兄様。どうかなさったのですか?」
ナナリーもルルーシュのいつもと違う様子に気づいたようだった。足音で分かるのだと以前彼女が言っていたことを思い出す。
「いや、なんでもないよナナリー。ちょっとね、スザクに話があるんだ」
ルルーシュは僕に目を合わせると、服の襟元を引き上げた。幼い頃に決めた、僕たちだけの暗号だ。

 

屋根裏部屋に上ってもルルーシュは思案顔で、口元に手をあてたまま少しの間黙っていた。
そんな時は僕も無理に聞き出そうとはしない。
それに、ルルーシュの僕には言えない秘密を知ってしまった矢先だ。僕は胡座を組んだ足元をじっと見つめる。彼との会話は神経を使わなくては。
「なぁ、スザク」
ルルーシュが口火を切った。
「なんだい、ルルーシュ」
「さっき議員から言われた事なんだが……俺もお前と同じ大学に通うことになった」
「ああ、その話か。そうみたいだな……」
父さんが話したのか。いつものようにナナリーを人質みたいにしてルルーシュを思い通りにさせようとする。本当に嫌なやり方だ。
「なんだスザク、聞いてたのか」
ルルーシュは意外そうな顔をする。
「うん。いつだったかな、父さんと進路の話になった時だったかな」
うまくはぐらかせただろうか……。ルルーシュはそれよりも、今の事態の方が重大なようで気にも留めずに話を続ける。
「そうか……じゃあ俺の将来も聞いたのだろう?」
「ああ……」
ルルーシュの将来。それはあんな人の一存で、決められていいものじゃない。
こんなに有能なやつが、父さんの言いなりになって、ずっと縛られて生きていくなんて、あんまりじゃないか!
「……なぁルルーシュ、君は本当はそんなこと望んじゃいないんだろう? 父さんが無理を言ってるだけなんだろう? 僕からも言ってみるから、君の未来をあきらめないでくれないか! 君には将来を自分で決める権利があるはずだろう!」
僕は思っていることを、ぐちゃぐちゃで形にはなっていないものを精一杯口に出す。
ルルーシュに当たっても何も変わらないことは、あの父さんの頑固さを人一倍知っている僕だからこそ、理解しているはずなのに。
「はっ、スザクが何か言うだけで、あの人が意志を覆すと思うか? 俺の未来はもう決められてるんだ……。あいつの秘書になってブリタニアとの間で駒として使われるんだろう」
「君はそれでいいのか!」
思わず大声になる。
「俺はいい。俺一人の問題だったらいくらでも耐えられる。しかしナナリーが……ナナリーと離れて暮らすのは、不可能だ」
ルルーシュは自分のことには表情一つ変えないくせに、ナナリーのことになると途端に顔を曇らせた。声も震えている。
僕もナナリーのことは心配の種だった。ナナリーがどんな施設に送られるのか、ルルーシュ無しでナナリーがやっていけるのか……。いや、むしろナナリー無しでルルーシュがやっていけるかのほうが心配かもしれない。
しかし僕の中には違う考えも存在し始めていた。

 

「でもルルーシュ、考え方を変えてみないか。ナナリーはこの家と僕たちしか知らないまま育って、今後もずっとこの家にいるっていうのは、あの子によくないんじゃないかって思うんだけど」
「……ああ。俺もいつかはナナリーに違う世界を見せてやりたいと思っていた。だがそばにいられないのは……」
「ルルーシュ……厳しいことを言うようだけど、君も広い世界を知った方がいい。いつまでもこんな所にいてはいけない。僕は君もナナリーも、枢木から自由になってほしいんだ。それに……単純に君と二人で学校に通えるのが、僕は嬉しいんだ」
「スザク……」
もうこれ以上知らないふりを続けるのは駄目だと思う。わだかまりを抱えたまま一緒にいることなんて僕には出来ないし、彼を少しでも絶望から引っ張り上げてやりたいと思うんだ。
「頼む、ルルーシュ。僕は、例え君が何をしようと君の味方だ。本当のことを、本当の気持ちを僕だけには言ってくれ! 僕は、君の全てを受けとめたい」

 

「スザク、お前なにを……」
「っ大丈夫、見たわけじゃない! たまたま通りかかっただけなんだっ!」
僕が慌ててフォローするも、ルルーシュは気がついてしまったようだ。彼の顔から一気に血の気が失せて真っ白になり、倒れてしまうのではないかと心配になった。
「すまない、スザク、すまないっ」
顔を歪ませてぼろぼろと涙を流すルルーシュをはじめて見た。その紫の瞳にいっぱい涙をためて、滅多なことでは流さないよういつもは堪えることが出来るのだろうそれは、今日ばかりはほろほろと頬を伝って流れた。
いつも妹の為にまっすぐ前を見据えていた彼が、こんなに弱くて細い存在であったなんて今まで気づかなかった。
もう何年も誰にも言えない思いを抱えていたのだと思うと、愛おしさに涙が出そうだった。
「ルルーシュっ……」
思わず手を伸ばして抱き締めていた。
しかしルルーシュは僕が触れるのを嫌がるように身を縮こませる。
「っ、やめろっ! やめてくれ……お前、俺が気持ち悪くないのか? 許せなくないのか? ずっとお前を騙して、お前の父親と……」
「そんなわけないだろ! あれは父さんが無理矢理やったんだ、君はどうすることもできなかった! そうだろ?」
「……っ、だが……それをずっと解決できなくてだらだらとんあんな状態を続けていたのは俺だ……。おま、お前に……」
恐る恐る目線を上げて僕を見るルルーシュ。
どちらからともなく指が伸びて、指先がそっと触れる。そこからたぐり寄せるように彼の右手を絡めとる。ここでルルーシュを繋ぎとめなければ、きっと彼はもう、僕たちの元に帰ってこなくなる。
「お前に隠していたのは俺の弱さだ。お前に……嫌われたくなかったんだ」
そしてしゃくりあげるルルーシュを僕は抱き締めていた。

 

「好きだ。僕は君が好きだ、ルルーシュ」
「ほんとうか……」
恐る恐る僕を見上げてくるルルーシュは、とても幼く見えた。
「俺はこんな嘘つきで、身体まで汚れてるのに?」
「僕はそうは思わない。……僕はどうしようもなく君と一緒にいたいんだ。君なしじゃきっと生きていけない」
「スザク……」
ルルーシュの瞳が見開かれる。
「俺も、押し殺そうとしても押し殺せない想いがあった」
ルルーシュはためらうように目を伏せて、そこから涙が埃っぽい床に落ちる。
そして意を決したように僕の目をまっすぐ見つめると、ゆっくり口を開いてこう言った。
「俺も好きだ。スザクが……好きなんだ」
その言葉を聞いた瞬間、僕はルルーシュをよりきつく抱き締めていた。
「うん……ルルーシュ、僕頑張るから。頑張って入試突破するから、二人で暮らそう。大丈夫、四年もあるんだ。君の未来を一緒に探そう。そして卒業したらナナリーを迎えに行って、三人で暮らすんだ」
「ああ、ああ……。スザクがいれば何も怖くない気がするよ……」
背中に回された手が僕の服をぎゅっと掴んで、あつい涙が肩に染みる。
これからは、僕が支えるんだ。

 

それから僕は今までとは打って変わって、必死になって勉強した。裏口入学なんて絶対に嫌だったからだ。もうあの人には借りを作りたくなんてない。
剣道で鍛えた集中力が幸いしてか、模試でいい判定を取るまで成長できた。
入試直前はルルーシュも受験生のくせに夜食を作ってくれたり色んなサポートをしてくれた。それあってのことか、僕達は二人揃って、大学に合格した。

 

東京の地で、僕たち二人の生活が始まる。
その前にナナリーが入る施設を三人で見学に行くことにした。ルルーシュがどうしてもと願ったし、僕も気になっていたからだ。
その施設は大病院に併設されているもので、医療機器も人材も、今ナナリーが通っている病院より整っているらしい。
その綺麗な建物に入ると、幼稚園くらいの本当に小さい子から高校生くらいの子まで様々な年齢の子供たちがいた。
係員に案内されながら病室やリハビリ施設を巡る。ルルーシュはナナリーに施設の様子を逐一説明しながら、係の人にも色々質問している。
「15歳くらいの子は何人いるんです?」
「そうですね、15歳だとロロという男の子がいます。生まれつき心臓が弱いんですよ。ナナリーさん、仲良くしてあげてね」
「はい! 私早くお友達をつくりたいんです。お兄様が心配しなくてもいいように」
そう言ってナナリーは車椅子のハンドルを持つルルーシュの手に手を重ねた。
施設を隅々まで見まわって、ルルーシュはあまり不満は無い様子だ。もしなにかあったなら父さんに直談判しに東京へ飛んで行くだろうから。

 

三人で施設から出て、迎えの枢木の車を待つ。
「ナナリー……本当に一人で大丈夫かい?」
ルルーシュは膝まづいてナナリーと目線を合わせる。二人の手は固く繋がれている。
「ええ、不安がないと言ったら嘘になりますけど……。お兄様は大学で勉強することが出来て、私はもしかしたら歩けるようになるかもしれないんです。これはチャンスだと、私は思います。ですよね、スザクさん」
「ああ、僕もそう思う。二人ともあの家にずっと居てはいけないよ。それにルルーシュのことだから毎月お見舞いに来てくれるよ、もちろん僕も」
「当たり前だろ! 毎週でも来たいくらいだ」
「ふふ、お兄様、お勉強をおろそかにしてはいけませんよ。……ナナリーは平気です。二度と一緒に暮らせないわけじゃないんですから」
ナナリーがルルーシュに諭すように言う。
「ナナリー、ナナリー」とそれしか言わなくなってしまったルルーシュ。僕には、あの土蔵にいた頃のかたくなな皇子の姿がだぶってみえた。
そっと彼の肩に手を置く。
「ねぇ、四年間の辛抱だよ。大丈夫、ナナリーは君の元からいなくなったりしない。健康になって帰ってくるんだ。こんなにいいことはないだろう?」
「…………そうだ、な。ナナリー、辛くなったらいつでも電話するんだぞ。すぐに行くから」
「はい。お兄様は心配性なんですから……」
二人の目に薄く涙が張っているのを僕は見た。
新生活に別れはつきものだけど、別に永遠の別れじゃない。
僕とルルーシュは視線を交して手をつないだ。必ずナナリーを迎えに来ることを誓って。