紅の天鵞絨4

 

提出は明日に迫っていた。
「だからなんで毎年毎年こんなにため込むんだ!」
「俺だって好きで毎年毎年修羅場してるんじゃねぇよ! でもやっぱり稽古で忙しかったし、春休みって思ってたより短くって」
「休みは毎年同じ長さだろう……。おいこれ俺が書き込んでいいのか」

さらさらとノートにペンを走らせているのは、自分で勉強してもう高校卒業と同等の資格をとってしまったルルーシュだ。
「うあダメだルルーシュ! お前の字は達筆すぎるからバレる! 去年も即効でバレて補修くらったんだ」

俺がルルーシュの部屋に押し掛けて、柄にもなく必死にペンを握っているわけ。
その答えは部屋中に散らばる問題集。
なんと明日から新学期、である。高校三年生になってしまうのだ。

「よし、数学はこのノートに途中式まで書いたからこれを写せ! あと残ってるのはなんだ?」
「……ブリタニア語が丸々一冊」
はぁ、とこれ見よがしにルルーシュにため息をつかれる。
「ちょっと見せてみろ」
ひょいと背後から手元を覗きこまれた。あまり自信を持って見せられる解答ではないのだけれど。
「なぜここに目的語が入る……。並び替え問題なんて品詞が判断できれば何も難しくないだろうに」
ルルーシュは適当な紙を取り出すと筆記体ですらすらと正解を綴る。
あまり流麗に書かれてしまうと解読に苦労するのでやめて欲しいと思ったけど口には出さない。
筆記体すら読めないのかと眉を寄せられること必至だ。それより気になるのは――

「あれ、そんな万年筆持ってたか? かっこいいな」
緑色に鈍く輝く太いペン。中々に重量感がありそうな代物に見えた。俺の指摘を受けて手元に目を落したルルーシュは、なにやら複雑な顔でペンを見つめる。
「あぁ、これは……。いやそれより集中しろ。まず――――――」

「すっげぇ完璧なブリタニア語だ……! ルルーシュってすごいんだな……」
「お前は俺を何人だと思って……」
ルルーシュはいよいよ呆れかえった様子で俺をしげしげと見る。
「いや、お前日本語うますぎるからなんか忘れちゃうんだよな。そうだよな、母国語だもんな……」
俺は浮かれたことを後悔した。

 

ルルーシュとナナリーは、祖国を追い出されてからもう何年になるだろうか。日本語だって俺よりも完璧に駆使するまでになったその年月を思うと、やっぱり寂しさを感じる。
ブリタニア側は二人の将来について何も言ってこないのだろうか……。
こいつは頭が良くて何でもこなす、こんな遠くに厄介払いされたままでいい人間じゃないんだ。そうは思うんだけどずっと一緒にいたいという気持ちもある。今度父さんが帰って来た時に話をしてみようか。ルルーシュがこれから先どうしたいのか――。
ルルーシュはあんまり自分のことを話さないから、俺はよく知らないけれど何かやりたいことがあるならそれを応援したいし、父さんを説得したっていい。

「おい、なにぼーっとしてる、集中しろ。俺はブリタニア語は手伝わないからな」
椅子に座って足を組み、床であぐらをかいている俺を見下ろすルルーシュはさながら女王様だなぁなんてことを思いながら、脳内を切り替えて、目の前の問題集に集中させる。

勉強は、しなければならないのだ。
俺が進学する大学はもう既に決められている。父さんも、お爺さんも通ったという由緒ある大学だ。もちろん偏差値も高い。宿題も満足にこなせない俺の頭では正直かなり厳しい。
けれど三年の今、まだ部活は終わっていないし、なにかと勉強は後回しにしてしまっている。でも俺には最強の家庭教師がいる。

かたわらのルルーシュもそれは分かっているようで、こうしてなにかと質問に部屋を訪れる俺に丁寧に教えてくれる。
ルルーシュは数か月前誘拐されて、ボロボロになって帰ってきた。詳しいことは話したがらないし、彼の身の上と枢木の面目も守る必要があるだろうとルルーシュが言うので警察に行くのは止めた。
今の彼はもうすっかり元気になったみたいで、普段と変わらない日常を過ごしている。
でもそれは表面だけなんじゃないかと思うこともある。
ルルーシュは強い人間だ。人に弱みを見せることは好きじゃないだろう。でもそんな人間は内にどんどんどんどん傷を貯め込んでしまうんじゃないかと、俺は心配している。

「こら! いい加減に集中しろ!」
ルルーシュの一喝が飛ぶ。
でもブリタニア語は一番の苦手科目なのだ。
「なぁルルーシュ……。お願いがあるんだけど……」
「ん? なんだ」

「ブリタニア語教えてくれないか? 無理矢理ブリタニア語だけで会話する時間を作ったりしてさ! ネイティブに習った方が上達も早いだろうし、な!」
俺の必死のお願いに、ルルーシュの表情が曇った。
「それは……勘弁してくれ」
下を向いてしまったルルーシュは、所在無さげに俯きながらペンを回した。

「悪い、俺、無神経なこと言ったよな……」
「いや、いいんだ」
取り繕うようにルルーシュは明るい声で応じてくれた。
「ただ、昔のことはなるべく思い出したく、ない……。もう俺たちとあの国とは何の関係もない。そう思ってくれ」
いつもの様子を取り繕っているけれど、目は遠くを見るように焦点が合っていない。昔の嫌なことを思い出させてしまっただろうか。
俺はまた失敗してしまったことに気づく。いつもそうだ。深く考えずに思ったまんまを言ってしまって相手のことを傷付ける。

「そうだよな、ルルーシュはずっと俺のそばに居てくれよ! お前がそうしたいと思ってくれたら、なんだけど」
「ああ、ずっと……お前と一緒にいるよ」
そう言って笑うルルーシュはとても綺麗だ。

同じ男相手にそんなことを考えてしまうのはおかしいのかもしれない。けれど俺は最近そんなことばかり考えている。
いつのまにか身長は少し追い抜かした。武道で鍛えた俺と違って、もっぱら家で本を読むルルーシュの腕や腰の細さには驚かされる。
でもそれが――なんと言うか――、とにかく目を引く。それに時折ルルーシュはとても色っぽい仕草をする。あんなのどこで覚えてくるのだろうと考えを巡らすと、いつかの夏の日にみたあの痣を思い出す。そこで俺の思考は止まる。これ以上考えるなと、本能が言うんだ。

「また止まってる。手を動かせ、手を」
ルルーシュは椅子の上から僕の手元を覗き込んで、からかうような笑顔でそう言った。
俺はそれに笑顔で応じて、また課題に向かう。
しかし、わからないものはわからない。
集中力が切れると俺は一点を見つめる癖がある。ルルーシュの部屋の壁をじっと見ていると、目を引くものがあった。

いつも整然と片付けられているクローゼットからリボンのような綺麗なヒモが覗いているのだ。
「なぁルルーシュ、これなんだ?」
俺は思わずクローゼットに這って行って、そのリボンの切れ端をルルーシュにも見えるように持ち上げた。
するとルルーシュは血相を変えて飛んできて、クローゼットを背に絶対開けさせない構えだ。

「そ、それはなんでもないんだ」
「じゃあそんなに焦ることないじゃんか。どうせナナリーへのプレゼントとかだろ?」
俺はルルーシュの普段見せない必死で素早い行動にちょっとびっくりしながらも、少し面白くなってもっと押してみることにした。
俺にとってルルーシュのディフェンスをかわしてクローゼットの取っ手を引くなんて簡単なことだ。文句を言うルルーシュの体を抱き寄せて、中に踏み入る。
そこで見えたのは、積み上げられた大量の箱――。包装紙をまかれた贈り物が大きいものから小さいものまで大量に置いてあった。
「ルルーシュ、どうしたんだ? こんなに……ナナリーにやるには多すぎるぞ」

腕の中のルルーシュと目を合わせると、ルルーシュはすごくばつが悪そうに目を逸らした。
「ったく、だから開けるなって言ったのに」
「なぁ、なんなんだよこれ」
顔を逸らしたままのルルーシュのそでをひっぱる。
あんまり言いたくはないけど、ルルーシュたちの経済状況が豊かとは言えないことくらい俺でも分かる。プレゼントはどれも高級店のロゴが入った包み紙や紙袋に入っている。

ルルーシュが苦々しげに口を開いた。
「それは……枢木議員から預かってるんだ。年頃のナナリーのことを気遣って下さって、色々贈ってくれるんだよ」
ルルーシュの声のトーンはいつもより高い。それに俺と目線を合わせようとしない。
「違うな、それは嘘をついている時の顔だ」
もう何年も一緒に居るんだ、表情の変化くらいわかる。

俺の断言にルルーシュは少し笑うと今度は目を見て話してきた。
「……お前には叶わないな。ああ、半分は嘘だ。実は、俺へのプレゼントだってものも入ってる。こんな高価な物ばかりで正直困ってるんだ」
そう言ってルルーシュは本当に困ったように眉を寄せて笑った。
「そうなんだ……なんだよ父さん。俺にはもっと本を読めって図書カードくらいしかくれないくせに……。でもなんか良かった。父さんとルルーシュ、険悪って言うか、あんまり仲が良くない感じだったから」
「そうだな、議員には感謝しているよ。な、これで分かっただろ。お前はとりあえず目の前の宿題に集中しろ。俺がいると気が散るようだから、ナナリーのところに居る」
ルルーシュはさっさと部屋を出て行ってしまった。
「そんなことないけど……わかった。頑張るよ俺!」

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ナナリーを寝かしつけて自分の部屋に戻ってくると、必死に問題を解いているはずのスザクは頬杖をついて船をこいでいた。
「全く……おい、起きろ」
叩けど、揺さぶれど効果はない。
スザクの安らかな寝顔を見る度に、俺は自分の罪深さを知る。“友達”を欲の対象にするなんて、やっぱり俺はおかしいんだと。

「なぁ、スザク……」
スザクは何も知らない。何も知らずに、俺の積み重ねる嘘を信じていく。
このままでいいのだろうかと思う。このままスザクは真実からはじき出されて、――俺はスザクに自分の心を伝えられないまま――ずっと時を過ごしていくのかと。
そもそもずっと一緒にいるなんて、ただの希望だ。将来スザクが添い遂げる相手を見つけたら、俺たちの存在は重荷でしかない。

「スザク、スザク……」
くせっ毛の頭を抱きしめるけれど反応はない。寝入っている。むしろ好都合だ。
そっと目元にキスを落とす。真実を知れば、きっと俺の為に泣いてくれるスザクの緑の瞳に。
「お前とナナリーだけ、そばにいてくれたら、俺はそれだけでいいんだ」