「またか!奴め性懲りもなく…」
その昔、都随一の美貌を謳われた兄妹がいた。兄の方は射干玉の髪が烏帽子に隠れるのが惜しい程美しく、妹は亜麻色のふわふわとした髪が人柄を示すような可愛らしい姫であった。二人とも紫の双眸が見る者に大層高貴な印象を与えたが、それもそのはず、二人はお上の御落胤であった。母の身分があまり高くなかったため宮中で目立つことはなかったが、その美貌を聞きつけ妹姫に求婚してくる輩の多いこと。妹以外に目が向かない少々困った兄は、女官に言いつけてそれらの文を全て自分で目を通し、愛しの妹の評判に傷がつかないようやんわりとお断りの返事を認めているのだった。もちろん妹には内緒で。
さて冒頭の“あのお方”とは、今をときめく枢木左大臣のご令息、あちこちで浮名を流すスザクの君のことだった。そのような色好みに大事な妹を任せてたまるかと、ルルーシュは何度も何度も丁重にお断りを申し上げているのだが、この男全く折れることがない。ここまで粘り強かった輩はこれまでになく、無駄に対抗心を奮い立たせて、ルルーシュは今日も筆を執るのだった。
「この度はあちらさま、なんとお書きになっていらしたんですか」
ナナリー宛ての文を全てルルーシュに届ける役目を任された女官の咲世子が主君に問う。
「…貴女様に焦がれて今にも燃え尽きてしまいそうな心地で御座います。なれどこの身は不死鳥の名を賜りますれば、何度となく蘇り貴女様の許へ降り立ちましょう。もしわたくしめを少しでも憐れんでくださるのならば、どうか一目だけでもその御姿を拝見させては頂けないでしょうか………っああ!この歯の浮くような美辞麗句!こんなことをそこら中の女性に書きつけて毒牙にかけているんだ!こんな輩にナナリーを会わせてたまるものか!」
この兄にとっては、巷を騒がせる艶聞の主が妹を他の女と並べて見ているのが気に入らないのだった。
「まぁ、スザク殿はお家柄も抜群ですし、容貌も精悍でいらっしゃるともっぱらの噂でございますからねぇ…。お手紙を頂いたお姫様方もまんざらでないと申しましょうか、忍んで来て下さるのを今か今かとお待ちになっているような様子らしく…」
「しのっ…!ならん、絶対にそんなことはさせない!」
「そうでございますよねぇ…。ではこのままナナリーさまに成り代わって文をお交しになるということでよろしいのですか」
いい加減ルルーシュも見知らぬいけすかない男とのやりとりに辟易していた。人間は言葉ならいくらでも取り繕うことが出来る。ましてや顔の見えない文章ではなおさらだ。
ナナリーには心根の清いまっとうな男こそふさわしい。そういう人間を見極めるには手紙だけでは材料が少なすぎる。やはり実際この目で見極めなければ…。…この目で…?
「咲世子、名案を思いついたぞ!至急あれを準備せよ!」
渦中の人物枢木スザクは浮かれていた。やっと本命の君から色よい返事が届いたのだ。今まで幾多の恋路で培った手練手管を要しても中々落とせなかったお姫様。この好機を逃してなるものか!稀代のプレイボーイは牛車の御者へ予定の変更を告げる。
「今宵はランペルージへ向かうことにする」
「えっ、今宵は桐原のご令嬢のところじゃ」
「いいからいいから」
とびきりの装束にとっておきの香を焚きしめて、スザクは意気揚々と難攻不落の姫君の館へ向かう。
*
さてランペルージの屋敷では、件の貴公子様を迎える為の準備がいそいそと進められていた。控えの間は女官が数人がかりで美しい姫に装束を着付けていた。何色もの薄物が重ねられた大層立派な装いである。しかしひとつおかしなところは、その姫の背丈が女官らの頭一つ以上飛びぬけていることである。襟元を整える女官が背伸びをするほどだ。しかし背丈の高さを差し引いても匂い立つほど美しい姫君だった。喉元にしっかりとした突起があることは見間違いである。
「こんなこともあろうかと、母上の悪ふざけで頂いた装束をとっておいて助かった」
満足げな笑みを浮かべている若君に、咲世子は内心呆れながらかもじをつける。
「楽しそうなご様子でなによりでございます」
化粧を施す女官がうきうきとした様子で話しかける。
「ほんとうに若君様は色がお白くていらっしゃるから白粉の塗り甲斐がございませんわ。くちびるも綺麗なお色でございますから、紅は薄く引くだけにしておきますね」
「そう褒められてもあまり嬉しくはないが…。皆すまないな、こんな茶番につき合わせて」
申し訳なさそうにする主人に仕上げの扇子を手渡して、女官たちは少し離れて自分たちの作品の出来栄えを確認する。
「どこに出しても恥ずかしくない姫様ですわ!」
「これで落ちない殿方なんていらっしゃいません!」
「今回の作戦の目的は奴を落とすことではない!御簾のこちら側にも入れてなるものか!お前たち、傍に控えていなくていいからな。俺一人で何とかする」
咲世子は自信満々の主君の様子に言いようのない不安を覚えるのだった。
「…ルルーシュさま…、御武運を」
*
ランペルージ邸に向かう牛車の中でも、スザクは逸る心を抑えられなかった。友人に連れられて行った垣間見で見惚れて以来、他の女性より何倍も力を入れて口説いてきた愛しの君に今宵こそ会えるのだ。
「スザク様、お屋敷に着いて御座います」
「ああ、迎えは明朝に頼む」
「ルっ…こほん。ナナリーさま、お客様がお見えでございます。お通ししてもよろしいでしょうか」
「ああ…いや。どうぞお通しして」
女官の手で襖が滑るように開いた。白い足袋を滑らすように入ってきたのは、褐色の髪に漆黒の烏帽子が映える青年だった。目の前まで歩いてくる足音は武道に秀でているもののそれであった。
「はじめてお目にかかります。枢木スザクと申します」
御簾の向こうから聞こえてくる声が、甘く心地よいものに感じてしまって、ルルーシュは己を叱咤する。なにを考えている、ここのいるのはあの枢木だぞ!
「お初にお目にかかります」
相手に合わせてこちらも佇まいを直し頭を下げる。いくら見た目を取り繕ったって俺の声はまるっきり男のものだ!さあどうでる枢木!
「本日はこちらに参ることをお許しいただき、まことに嬉しく思っております」
「……」
「こうして御簾越しではございますが、貴女の御姿をはじめて拝見して…なんてお美しい、想い描いていた以上だ。黒々とした御髪も、色鮮やかな裳も、より一層貴女の美貌を引き立てている」
「世辞は結構。…貴方は私のこの声を聞いても何とも思わないのですか」
「ええ、とても素敵です」
「嘘を、今までも私の声を聞いた方は皆離れていきました。このような男のような声、殿方は幻滅なさるのでしょう…」
もちろん作り話である。
「いいえ、真に素敵だと思います。確かに低い響きをお持ちではございますが、不思議な魅力を感じます。とても艶がある」
どこから湧いてくるのか滔々と口説き文句を述べたてるその声に何故か胸が高鳴ってしまう。文面で見るのとはまた違う。人の声とはこんなにも威力があったのか…!
「そう、でございますか…」
「ええ。どうぞ自信をお持ちになって下さい。貴女はとても魅力的だ」
目を合わせて微笑まれて、より一層居心地が悪くなる。確かに評判通りの美形だ。佇まいも落ち着いていて、見た目には非の打ちどころがない。しかし見極めるべきはその性根。
「ねぇ、そちらに行っても?」
「なっ、なりません!」
「何故?こうして会うことを許して下さったし、文の返事だって貴女はこまめに下さった。仲間内でも僕ほどお返事を頂いた者はいないと羨ましがられたのですよ。僕のことを憎からず想ってくださっている。そうでしょう?」
「そんなことは…」
確かに他の男どもよりも、枢木との文のやりとりに最も心を割いていたのは事実だ。それはただこいつが一番強敵だと思っていただけであって、俺が想っているなどありえない!
ルルーシュがまとまらない思考にかかずらっている間にも、スザクは足音も立てずに御簾に近寄り、勢い良くそれをはねのけた。
「っおい!なにをするこの無礼者!」
「そんな口調も苛烈で素敵だよ、もっと顔をよく見せて…」
近づいてくる男から少しでも離れようとルルーシュは身をよじるが、着慣れない衣装の重さにままならない。あっけなく頬に触れられ視線が吸い込まれていく。若々しい新緑の瞳に熱っぽく見つめられて顔がほてるのを感じた。
「綺麗な紫だね。一目見たあの日からずっと忘れることが出来なかった…ナナリー様、お慕いしております」
「っなにを言っているんだ!?あぁもう!俺はナナリーじゃない!兄のルルーシュだ!」
「え…?でもこの漆黒の髪に紫の瞳、それにこの美しい装束も、あの日垣間見た姫君そのものだ!ランペルージには姫君は一人だと聞いていたからてっきり君がナナリー様だと…」
「はっ!お前が見たのは母の余興に付き合わされて無理矢理女の装いをさせられていた俺だ。残念だったな」
思いがけない展開にルルーシュは僥倖だと微笑む。枢木はナナリーを好いていたわけではなかった、全ては勘違いだったのだ!固まっているスザクにルルーシュはよそ行きの完璧な笑顔で畳みかける。
「気の毒だったな。結果的に騙してしまったことは悪いと思っている。また宮中で会うこともあろう。その時は仲良くしようじゃないか」
心にもないことを並べたてているルルーシュの話など耳に入っていないスザクがいきなり抱きしめてきたものだから、突然の出来事にルルーシュは身を固くする。
「っなにを!?」
「ふふ、貴方は私の評判を御存じでないのですね」
「は?」
「…私は両刀でございますよ」
耳に直接ねっとりと声を注ぎこまれて、ルルーシュは現状を理解した。
「なっやめろ!離せっ、誰か!だれかたすけ」
「人を払ったのは君だろ、誰も来ないよ。僕たち二人だけだ」
女になりきって話すのを聞かれたくなくて、家の者には近づかないように言ってあったのだ。それがまさか貞操の危機を招くとは…
「ほらじっとして、はじめてだろ?大体君が悪いんだからね。この僕を招いといて無事で済むと思ったわけ?大丈夫、生娘でも気持ちよくしてあげられるから。あぁ男は久しぶりだなぁ、しかもとびきりの美人、楽しみだ」
訳の分からないことを囁かれながら服が一枚一枚剥ぎ取られていく。なんだこの傍若無人な男は!もがけどもがけど枢木の下から這い出ることは出来なかった。徐に口づけられて更に舌まで入れられて…それから先は思い出したくもない。
*
明朝。
「今晩も、明日も来るからね。そうしたら正式に婚姻の儀を」
「うるさいっ!もう二度と我が家の敷居は跨がせないからな!お前みたいな二重人格に絶対にナナリーはやらない!」
「ナナリー様?何言ってるの、僕は君が欲しいんだ」
「ひっ!」
あの甘い声で吐息混じりに囁かれ、ルルーシュは思わず身震いする。
「だって君もよかっただろ、すごいいい顔してた。またしたいって思ってる。いい加減僕のこと好きって認めたら?」
言葉で辱められて、ルルーシュは赤い顔を布団にもぐって隠す。笑い声と共に頭を優しく撫でられる感触が心地よく、こいつの人柄が見極められるまでは、流されるのもいいかなと思い始めていた。
朝ちゅんになってしまったのは、どう脱がすか分からなかったから!
あくまで平安イメージということでご容赦いただきたい。