まばゆい真っ白な光に包まれて、暗転。気づいたら見たこともない世界にいた。
スザクが目を開くと、そこは真っ白な空間だった。雲のようなふわふわなものに、ソファにでも座るようにすっぽりと包まれていた。状況はさっぱり分からないが、なんとなく安心していい場所だと感じた。ずっと味わっていなかった、懐かしい感情だった。
『お疲れさまぁ~!』
突如空間に響いた聞き覚えのある独特の抑揚に、スザクは目を見張る。
「ロイドさん? それにセシルさんも……」
目の前に薄い液晶のような膜が現れて、ロイドとセシルの姿が見える。
ロイドは画面に近すぎるくらい近づいて、覗き込むようにこちら側を楽しげに見ている。セシルはその後ろに控えており、ロイドの長い白衣を手綱を握るように掴んでいる。まるでランスロットの中で通信しているようだな、とスザクは思った。
『スザク君……本当にお疲れ様。こんなことになるなんて……いくらスザク君でも、この作戦は無茶だったわ……』
困惑しているスザクを置いて、二人は一方的に言葉を続ける。セシルは既に真っ赤な目をして、とぎれとぎれに言葉を発している。
「セシルさん? 一体なんの話……」
そこでスザクは自分の失態にやっと気がついた。今、自分はかつてのように枢木スザクとして二人に対応してしまっている。
「……二人とも、何を言っている。その名は死した裏切りの騎士の名。ゼロである私にはなんら関係のない……」
慌てて口調を取り繕うが、
「ゼロという記号に必要なものは、実力。そしてこの仮面のみ……」
そう言いながら、スザクは仮面に触るため顔へ手をやった。そこでスザクはもう一つ重要なことに気づく。その手で触れたのは自分の素肌だった。最早身体の一部になったと言っていいあの仮面をつけていない。慌てて全身を見れば、身に纏う漆黒のスーツもなく、代わりに身につけているのは、遠い記憶のあの学生服だった。
「これは、一体……。どういうことだ! ロイド、セシル! 私は」
声を荒げても、画面の二人はこちらを見つめるだけで返事はおろか反応もない。向こうにこちらの声は届かないのだろうと悟った。
――ゼロとしてではなく、彼らと向き合うのは何年ぶりだろうか。
『でもスザクくんらしい死に方だよねぇ~。内紛地域の少数派への虐殺を防ぐ為に、司令部を叩き潰して、向こうが最後のあがきで紛い物のフレイヤを撃ってきたら、それ抱えて上空まで飛んでっちゃうんだもん』
ロイドの言葉で、スザクは少し前の自分の行動を思い出す。
『まさに爆散! フレイヤも、ランスロットも跡形もなく消え去ったねぇ~』
『ちょっとロイドさん! 茶化さないで下さい……』
セシルは堪えきれなかったのか、ついに嗚咽を漏らし始めた。
ロイドも先程までの笑顔が仮面のように抜け落ち、真剣な表情を見せる。
『被害者は出なかった。安心してくれ、ゼロ。いやナイトオブゼロかな、そしてナイトオブセブン。それに枢木少佐……、でも僕はやっぱりこれが一番しっくりくるなぁ、”枢木准尉”』
『……フレイヤの最後の製造ルートも断つことができたわ。……スザクくん、ありがとう』
そこでスザクはようやく自分がいま置かれている状況を理解した。
自分は死んだのだ。
画面の向こうでは、なおもセシルが優しくスザクのための言葉を紡ぐ。
『……私はね、スザクくん。こんなことを言うのは身勝手だって分かってるけど、あなたをランスロットのデヴァイサーとして、殺戮の道具にしてしまったこと、本当に申し訳なく思っていたわ……。ずっとあなたの能力をあてにしてきたのにね、ごめんなさいね……』
スザクは、ランスロットの鍵を渡された時のことを思い出した。あれはロイドの言葉通り、自分の人生を変える鍵だった。
「……そんな、僕はチャンスを貰ったんです。ランスロットは僕の……。僕の運命だったんだ」
『あまり長くなってもだめね。じゃあ最後に。……スザクくん、あなたは……いいえ、”あなたたち”ゼロは救世主よ。世界には未だ争いはあるけれど、ゼロのおかげで確実に世界は変わったわ。……ゼロとして生き続けたことは、本当に大変だったでしょう。でもあなたはそれを立派にやり通した。ほとんどの人は知らないけれど、あなたたちがいたことを知る人々は絶対に忘れない。……どうか、あなたの生を誇ってね』
画面に映るセシルの瞳は優しくて、スザクは自分がこの人に姉のように守られてきたことを実感した。
「セシルさん……。こちらこそありがとうございました。あなたの優しさに、僕はずっと支えられていたのかもしれない」
そして場違いに明るいロイドの声が響く。
『じゃあ僕も最後に。スザクくんのおかげで、いっやぁ本当に楽しかった! 君の才能は稀有だった。……出来ればその遺伝子を遺して欲しかったけど、っあいて! やめて、やめてセシルくん!』
懐かしい二人の痴話喧嘩を最後に、画面は唐突に黒一色になった。
「お礼を言うのは僕の方だ……。ランスロットは僕の世界を広げてくれた。二人のおかげで、世界を変える力を手に入れることができたんですから。さようなら、ロイドさん、セシルさん。ゼロになっても、僕を知っている人がいてくれたことは……とても心強かった」
真黒な画面には自分の顔が映り込んでいて、ずいぶん老けたなぁとスザクは苦笑した。
また唐突にジジ、というノイズが聞こえたかと思うと、鈴の鳴るようなあの声がスザクの耳に届いた。
『スザクさん。聞こえていますか?』
画面に映ったのは、ナナリーだった。
彼女の兄とは少し色味の異なるぱっちりとした目で、力強くこちらを見つめている。
ナナリーの瞳は、全てを見透かしてしまえるのではないかとスザクは常々思っていた。国際間の交渉などでも、ナナリーは相手の本意を見破るのが上手かった。今では口も達者になって、兄譲りの交渉術すら身につけていた。
「ナナリー!」
自分が死んだという知らせは彼女まで届いたのだろう。ナナリーは見るからに憔悴している。スザクは思わず声を張り上げたけれど、このよく分からない機械は一方通行の通信しかできない。こちらの声は届かない。
『スザクさん。わたしは今、とても悲しいです』
ナナリーは訥々と話し始める。
『あの時から……ゼロとして、私をずっと支えてくださって、本当にありがとうございました。……どれだけお願いしても、スザクさんは顔を見せてくれなくて、名前すら呼ばせてくれなくて……。でもずっとそばにいてくださった。まるで、お兄様みたいだった……』
そこでスザクは、彼女が自分の姿を実際に見たことは一度もないのだということに気がつく。
ゼロ・レクイエムから、出来る限りナナリーを見守ってきた。今、悲しみを抑えて綺麗に笑うナナリーは、本当に強くなったと思う。学園の時も、エリア11で共に働いていた時も、ナナリーの笑顔はスザクにとって一種の清涼剤だった。
画面の向こうで涙を抑えている懸命な姿がどうしようもなく守りたくなって、きっと彼もこんな気持ちだったに違いないとスザクは確信した。そして、ナナリーを置いてきてしまったことをもうどうすることもできないけれど、悔やんだ。
『でもね、スザクさん。スザクさんはきっと気づいてなかったと思いますけど……。ふふ、恥ずかしいけど言っちゃいますね。これが最後ですから……。私の初恋は、スザクさんだったんです』
突然の告白にスザクは驚いた。
『あの夏枢木神社で出会って、仲良くなって、三人で本当に楽しかった。そしたらまた学園で会うことができて……その時、きっと人を好きになるってこんな感じなのかなって思ったんです。あ、でも違いますよ! ……ユフィ姉様に、その、嫉妬したりはしていませんから。だってすごくお似合いだった……』
頬を赤く染めて告白するナナリーは、本当に美しくなったとスザクは思う。以前は可愛らしい少女だったが、もう立派な大人の女性だった。
「ナナリー、すごく嬉しいよ。……ごめんね、気づいてあげられなかったね」
一仕事終えたようにナナリーは胸に手を当てて息をつく。
『スザクさん……私は、ゼロがいなくとも、抑止力がなくとも、平和でいられる世界をつくるために、これからも生きていこうと思います。スザクさんと、お兄様と……ユフィ姉様の分も』 涙をぬぐって、とびきりの笑顔でナナリーは告げた。そしてまた画面は暗転する。しかし決意に漲るナナリーの様子は、スザクを安心させた。彼女ならきっと、自分たちの遺志を継いでくれるだろう。
そして次に画面に現れた人物は、スザクを今までで一番驚かせた。
「ユフィ……!」
そこには在りし日のスザクの主君が、花が綻ぶようなあの笑顔で映っていた。
彼女によく似合っていた桃色のドレスには、シミひとつない。綺麗な姿のままだ。
『スザク! 元気にしてましたか? ちゃんと学校には行った?』
以前と変わらぬ天真爛漫な様子が、スザクの胸を打つ。
「ごめん……ごめんね、ユフィ。約束は守れなかったよ」
『ふふふ、聞いてみたけど、ほんとは私全部知ってるの。ずっとスザクのこと見てたのよ。スザクもこちらに来てしまったのはとっても悲しい……。けれど立派な最期でした。流石私の騎士ね』
この朗らかな笑顔を目にするのは何年ぶりだろう。時の流れとともに、最近のスザクは、もうユーフェミアの顔も声も、写真や映像を介してしか思い出せなくなっていた。
「ユフィ、助けられなくてごめん。君の夢を叶えることは出来なかったよ……」
行政特区日本が成立することはなかった。結局スザクがどんなに手を尽くしても、ユーフェミアの夢が実現することはなかった。
『スザク、あなた今悔やんでるでしょう? でもね、ゼロは……形もやり方も違うけれど、私の願いを叶えてくれました。皆が平等に暮らせる世界。実現に近づいたじゃありませんか! 悪逆皇帝なんて、ルルーシュは思いきったことをしたけれど……私たちの目指す所は同じだったのよ』
ユーフェミアの死は、スザクの心に深く残り続けていた。スザクが使える主君は尽く命を落とした。これは何の因果かと悩みもした。しかしその贖罪のため、ゼロとして走り続けた。ゼロという役目を与えられたことで救われたと、そう思った。
『スザク、あなたの名も、ルルーシュの名も、私の名も、後世には不名誉な形で残るでしょう。でもね……これだけは言っておきたいの。あなたは裏切りの騎士などではありません! 私にとっての唯一で、最高の騎士よ。誇りに思ってください』
「イエス・ユア・ハイネス……」
スザクの目に涙が滲む。
『あなたに出会えて、本当によかった……』
「ユフィ、ありがとう……」
穏やかに微笑むユーフェミアをもっと見ていたかった。しかし画面は跡形もなく消え去り、代わりに現れたのは……
「どうだ、俺のプレゼントは」
楽しげな声と共に、ふっと姿を現したのは、自分と同じく制服姿のルルーシュだった。
「ルルーシュ!」
画面越しでなく、自分と同じ空間にルルーシュが現れたことにスザクは驚く。死んでから驚くことばかりだなと少し笑いがもれてしまう。
「どうした?」
してやったりという表情で現れたルルーシュは、驚いて言葉も出ないスザクを想像していたのだろう、泣き笑いの様子のスザクを見ると、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「いいや、平気だよ。……これはやっぱり君の仕業だったんだね」
「仕業とは心外だな。我が命に懸命に励んだ褒美である。受け取れ、我が騎士よ」
「イエス・ユア・マジェスティ。ありがたき幸せにございます」
どちらからともなく、くすくすと笑いがこぼれる。学生服の少年が二人、楽しそうに仰々しい会話をしているのは、まるで子供の遊びのようだ。
芝居っぽく礼をとるスザクを見て、ルルーシュは感慨深げに目を細める。
「実に……お前らしい最期だったよ」
「うん。やれることは全てやった。思えば君のギアスに何度も救われたなぁ……。でも全てを消しさるフレイヤには、流石に叶わなかったな」
「痛かったか……?」
先程までの楽しそうな態度から一変して、心配そうにルルーシュは問いかけた。
「いや、全然。真っ白な光に包まれたと思ったら、もうここにいた。……痛かったのは君の方だろ」
あの感触は生涯忘れることがなかった。
肉を刺し貫き、生温かい血が剣から腕へと垂れてくる。ルルーシュの重みが、自分の横をすり抜けて転がり落ちていき、ナナリーの悲鳴が憎らしいほど綺麗な青空に響き渡る。生々しい記憶だ。
その身体が今、依然と違わぬ姿で目の前にある。その奇跡に、スザクは身震いした。
スザクは思わずルルーシュの胸に触れる。
「大したことなかったさ。……他の誰でもないお前なんだ。文句などない、最高の死に方だった」
確かめるように何度も撫でるスザクの手を、ルルーシュは両手で握り込む。
「いいか。俺はこういうことは苦手なんだ、一度しか言わない」
真剣な表情で、ルルーシュはしっかりとスザクに向かう。
「……ありがとう。 俺の願いを叶えてくれて、ゼロを継いでくれて……
俺だけ先に死んで、あとは全部お前に押しつけて……、すまなかった。
でも、それでもお前はやり通してくれた。ゼロは象徴としてありつづけるだろう。お前は俺の望みを全て叶えてくれた……」
スザクは、ルルーシュがこんなにも感情を露わにして話すところを見たことがなかった。瞳に涙さえ浮かべて、素直になれない自分と闘いながら、心情を吐露している。
「お前は……俺の最高の友達だ。お前に出会えて……本当に良かった」
その様子を見ていると、スザクも涙が流れ落ちるほど溢れてきた。
「うん。僕も……君に会えてよかった。二人で生きてきて幸せだった。ありがとう、ルルーシュ。君は、僕に生きる理由を与え続けてくれたんだ」
「君が泣くなんて、初めて会った時以来じゃないか」
「うるさい! あれはお前がいきなり殴ってきて少し目が潤んだくらいだろう! 痛みで涙が出るのは人として当然の反応だ。スザクこそ小さい時も、猫祭りの時でさえ泣いていたくせに」
手を握り合ったまま、二人は離れていた何十年分話をした。
「なあ、次は何をしようか」
「はは、ルルーシュも生まれ変わりとか信じるの? でもそうだな……なんでも出来るよ。僕らならできないことなんてない。世界すら変えた……そうだろ、ルルーシュ」
「あぁ、スザク」
固く握られた手は、二度とはずれることはない。
誕生日SSに死んだ直後の話ってどうかと思いましたが、誕生日を祝う=生を肯定
死に際に人生を肯定されるってことで、生の祝福としての誕生日お祝いでした。