紅の天鵞絨12

 

「申し遅れましたが私はナイトオブラウンズ、ナイトオブスリーのジノ・ヴァインベルグです。今までの非礼をお詫びいたします」
「ナイトオブラウンズ……!」
そうだ、今思えばヴァインベルグという名は聞き覚えがある。思い出した、名門貴族ではないか。――俺としたことが、用心が足りなかった!
「逃げることはできませんよ、ルルーシュ様」
思考を最大限巡らせるもうまく頭が働かない。衝撃に動けない俺にジノは携帯端末の液晶を見せる。

 

「ッナナリー!」
そこにはベッドに眠るナナリーと傍らに立つロロが映っていた。
「ナナリー、ナナリー!!」
なぜナナリーとロロが? ジノと何の関係があるというのだ。ナナリーに何かあったら、俺は!
『大丈夫だよ兄さん。ナナリーは眠ってもらってるだけだから』
ビデオ通話なようで、画面の向こうのロロが答える。
ナナリーの胸が規則正しく上下しているのが見えてひとまず安心した。しかしロロの手には鋭利なナイフが握られている。
「ロロ……なんでお前が」
「彼は帝国の諜報員です」
「そんな」
「もし殿下がこちらに従っていただけない場合、ナナリー皇女殿下の身の安全は保証できかねるということです。もっともそのようなことはこちらも不本意ですが」
「分かった! 分かったから早くそのナイフをしまえロロ!」
思わず声を荒げていた。ロロはナイフを一回転させると袖元に隠す。その手つきは刃物の扱いに慣れている者のそれだった。

まさかあのロロが、ナナリーと双子のように仲良くし、俺を兄さんと慕っていたロロがスパイだなんて。
「お前はこの目的のために俺たちに近づいたのか……。正体を隠して!」
『ごめんね兄さん。でも、これが僕なんだ』
ロロの泣きそうな表情が一変して、氷のような無表情になった。画面の向こうの人物は俺が知っているのとは全く違う少年に見える。冷ややかな声でこう続ける。
『ルルーシュ殿下。あなたが帝国に不利なことをなさった場合、皇女殿下は僕が殺します』
プツと音を立てて通信が切られた。
「卑怯だとは思いますが……これでお分かりいただけましたね」
「……一体誰の差し金だ」
「今は申し上げられません」
ジノは己の所属をナイトオブラウンズと言った。それは帝国最強の騎士団、皇帝専属の騎士であることを意味する。つまりあの男が――!
「目的は何だ!」
「それも私の口からは」
さあ、とジノはエスコートするようにこちらに手を向ける。
「帰りましょう、我らがブリタニアへ」

 

仕方なく誘導されるがまま学内を歩く。必死に周囲を見回したがスザクの姿はなかった。当然といえば当然で、スザクは今バイト中だ。この状況を伝えることが出来ないまま連れていかれることだけは避けたい。連絡を取ろうと携帯を取り出すとジノにすげなく取り上げられてしまった。
「すみません殿下。私もこんなことはしたくないんですけど」
ジノは少し茶目っ気が戻ってきていた。癪に障るがこれがこいつの素なのだろう。
校門まで来ると一台の車が停めてあった。俺を後部座席に座らせ、自分は運転席に乗り込んだジノはインカムを付けどこかと通信し始めた。
「こちらヴァインベルグ。目標を無事保護したとあのお方に伝えてくれ」
窓の外を見ればもう日が沈みそうだ。仕事で遅くなることはあっても、連絡なく外泊したことなど今までにないのでスザクはさぞ心配するだろう。
「殿下は無事だ。ああ、了承していただけた」
なにが了承だ。ナナリーを人質に取られているとあっては抵抗が出来ないだけだ。
「ではこれからそちらへ出発する」
ジノは通話を終了したらしくこちらを振り向いた。
「長旅ですがご容赦ください、殿下」
「その殿下というのはやめてくれ。今まで散々名前で呼んでいたくせに」
「いやぁそうはいきませんよ。では出発でーす」
そうして車で移動し、プライベートジェットに乗せられた。心の一部を置いていくような長い旅だった。

 

問題は山積している。ナナリーのそばに暗殺者が潜んでいて、俺の身柄はブリタニアに確保されてしまった。スザクとは連絡が取れない。もちろんゲンブともだ。
しかし俺が逆らわなければナナリーの身の安全は保証されるとジノは言った。相手が誰であれ会った時は念を押さなければならない。ナナリーがいなくなってしまったら俺の生きる意味などないのだから。
スザクも今頃どうしているだろうか。いつまで経っても帰ってこない俺を探しているのだろうか。きっと悔しい思いをしながらゲンブに俺の行方を尋ねているのだろう。
あの人に想像力があって俺がブリタニアに連れられてしまったというところまで考えが及んでも、外交ルートから手を回してくるだろうか。いやタカ派のあの人だ、日頃から対ブリタニア強硬路線をとっていた。これ幸いと宣戦布告でもしてくるか? ありえない……。

 

そんなことを考えている間に飛行機は着陸した。
十年以上ぶりに訪れた祖国。そこは全くといっていいほど変わっていなかった。
俺の護衛を任じられているというジノは片時もそばを離れない。連れられて向かったのは懐かしい場所。あのアリエス宮だった。
俺たちが日本に送られてから主のいなくなった宮殿だ。てっきり朽ち果てているのだろうと思っていたが、そこは在りし日の姿を留めていた。
緑鮮やかな庭園。玄関から廊下まで埃ひとつなく、窓は拭き清められ、頭上でシャンデリアが光きらめく。絨毯の上を歩けば足音が鳴らない。通されたのはかつての俺の居室だった。

 

「久しいね、ルルーシュ」
「シュナイゼル兄上……」
ソファに優雅に座って俺を待っていたのは第二皇子のシュナイゼルだった。こちらも十年前からほとんど変わっていないように見えるのはなぜだろう。ブリタニアの報道に目を通していたのでそのせいだろうか。
「まぁ座りなさい。大きくなったね」
久しぶりに会う親戚のような態度に怒りが湧いてくる。
「今回の首謀者はあなたですか。説明してください!」
「説明かい? さて、どこから手を付けようか」
「なぜ今になってこちらに干渉なさってきたんですか? もうとっくに俺たちはブリタニアとは縁が切れていると思っていましたよ」
「そんな寂しいことを言わないでおくれルルーシュ。君は今でも私の可愛い弟だよ」
声音はどこまでも優しい。しかし腹では違うことを考えているに違いない。我が兄ながら食えない男だ。
「弟……、でしたらナナリーも妹ですよね? その妹に暗殺者を送るだなんて!」
「落ち着いてくれたまえ。もちろんナナリーのことも妹だと思っているよ。ただ可愛いのは君の方だが」
「……俺があなたに従っていれば、ナナリーは安全なんでしょうね?」
「物分かりがいい子は好きだよ」
「……ではこうなるに至った経緯をご説明願いたい」

「これだよ」
シュナイゼルが侍従に指示しテーブルの上に出させたのはあの週刊誌だった。
「――これは」
「可哀想にルルーシュ……。枢木ゲンブの秘書だなんて」
まさかこの写真がブリタニアの目に触れるとは思い至らなかった。
「どうやって、これを?」
「インターネットに上がっていたよ。週刊誌の記事が転載されたんだろうね」
その記事の内容も読んだよ、と義兄は茶を飲みながら続ける。
「美貌の秘書か……枢木ゲンブは可愛がってくれたかい? 可哀想に、ブリタニアでも日本でも政治の駒として使われて」
「…………俺を憐れんでいるのですか」
シュナイゼルは答えない。
「枢木は君たちをそっとしておいてくれると踏んでいたんだがね。だから父上も君たちの身を預けたのだろう。しかしこんな風に表舞台に出てくるのなら話は別だ」

 

シュナイゼルは立ち上がり、テーブル越しに手を伸ばしてきた。白い手袋をした指先で俺の顎をそっと上げる。
「君は有能だ。そして使われる側の人間ではない」
不快な指を首を振って払う。
「君が功績をあげてくれたら、ブリタニアにおけるある種の権力を与えよう。皇族復帰しエリア制定なんて楽しそうじゃないかい? 君は人を使う側の人間だよ、生まれつきね」
それはもしかしたら俺に用意されていた未来かもしれなかったものだ。だがどうしてだろう、なにも魅力的に聞こえない。
「それとも日本に帰って枢木に仕えたいのかい?」
「……あそこにはナナリーがいます」
「いや」
それだけじゃないだろう、とでも言いたげな目で兄は笑う。
「枢木スザク……いい青年じゃないか」
「ええ、自慢の友人です」
「友人、ね」
含みを持たせた言い方だ。
「君の気持ちは分かった。善処しよう」
ではね、と優しげに笑いながら兄は去っていった。

 

あの記事がブリタニアにまで知れ渡るとは……。スザクのせいだとここにはいない人を思う。
しかしシュナイゼルは何を考えている? 俺を今更皇族に戻して何の得がある。なんにしてもあいつの息子として生きるなど、皇位継承権を捨てたあの日から、生きながら死んでいると言われたあの日から死んでもごめんだ。俺の心は決まっている。なんとしても二人の待つ日本へと帰るんだ。

シュナイゼルが去ってからメイドがお茶を持ってきた以外に人の訪れはない。試しにドアを開け外に出てみたら、立っていた衛兵に丁重に中に押し戻された。要は軟禁状態にあるといってもいい。

 

そんな中、珍客が現れた。桃色の髪をなびかせその人物は上階からカーテンにつかまって、ちょうど開いていた窓からやってきたのだ。
「ルルーシュ!」
「……ユーフェミアか……?」
成長したが彼女は小さい頃のまま天真爛漫だ。
「シュナイゼルお兄様からルルーシュが帰ってきたって聞いたの!」
優美な腕が伸ばされ俺の頬に添えられて、ユーフェミアは涙ぐみながら笑う。
「ああルルーシュなのね……、元気? 本当に久しぶり。会えてうれしいわ。日本はどうだった? ナナリーは元気にしているかしら」
「落ち着いてくれユフィ。……こんなに立派なレディになったのに窓から入ってくるなんて何を考えてるんだ!」
「もう、おこりんぼなところは昔と変わっていませんね。せっかく会えたのに」
むくれる様子に思わず笑いがこぼれる。
「ああ、久しぶり。俺も会えて嬉しいよ」
子供時代、最も仲の良かった異母兄妹だ。こんな機会でもなければ一生会うことはなかっただろうから、確かに会えたことは嬉しい。ナナリーとよく三人で遊んだことを思い出した。
「ナナリーも元気だよ……目と足は相変わらずだが」
「そう……。ねえもっと日本での話を聞かせてくれる?」
「もちろんだ」
そこで俺は日本に送られてからの一部始終をユフィに話して聞かせた。
住みかとして与えられたのは土蔵だったこと、初対面で枢木家の息子に殴られたこと、ナナリーと三人仲良くなって今では大事な家族になったこと――。
横でユフィはとても楽しそうに聞いてくれた。
「枢木スザクさん、素敵な方みたいね。わたくしも会ってお礼を言いたいわ。ルルーシュとナナリーによくしてくれてありがとうって」
「ああ、いい奴だよ……。あいつがいなかったら向こうでの生活は耐え難いものだっただろうな」
ユフィの前ではつい本音が出てしまう。ユフィは皇族のしがらみから解放されているように見える。
「君はどうなんだ?」
「今は学生をしているの。でもいつかはお姉様のお手伝いをすることになると思うわ」
「コーネリア姉上か……」
ブリタニアの魔女と恐れられている義姉だ。厳しい人だったが母を慕ってくれていたのを覚えている。
「あらいけない。今お姉様が帰ってきていて、一緒にお茶をする約束だったわ! ルルーシュも来る?」
「いや俺はいいよ。姉上も忙しいんだろう? 姉妹水入らずで楽しむといい」
「そう……。ではまた来ますね!」
名残惜しそうなユフィをドアまで見送った。

 

軟禁生活も三日目のことだった。
どうにも手持ち無沙汰で頭の中も煮詰まってきた。そこで子供のころ読んでいた本などを読み返していた時ドアがノックされた。
「ルルーシュでーんか! 失礼いたします」
「誰だ」
聞かずとも分かっている。この言い方はジノだ。
「お分かりでしょう? ヴァインベルグ、宰相閣下のご命令でお迎えに参りました」
「……入れ」
ドアのロックを解除すると、白と濃緑のラウンズの正装に身を包んだジノが入ってきた。
「退屈されているご様子ですね。そんな殿下にプレゼントといってはなんですが」
「何用だ」
「宰相閣下がお呼びです。宮までお連れするようにと」
再度ジノの運転する車に乗って移動したシュナイゼルの宮殿はアリエス宮より数段豪華だった。それはやはり主人が第二皇子であることと、アリエス宮の元主人である母が贅沢を好まなかったからだろう。
シュナイゼルの執務室に通された。大きなモニターの前の応接セットに案内される。
「すまないね、わざわざ来てもらって」
にこやかだが、この人はなにを言っても嘘くさいと思う。小さい頃から苦手な人だった。
「ジノもありがとう。君を貸してもらったこと父上に感謝しなければ。歳が近いほうが打ち解けやすいと思ってね」
「いえ、とんでもないです。閣下ならいつでもご用命を。では失礼いたします」
ジノはラウンズとして皇帝の命令で来たのではなかったのか。そして俺はまんまとシュナイゼルの策略に乗せられたというわけだ。
「それで何のご用ですか」
「そう怒らないでおくれ。君も喜ぶと思うよ。枢木親子と通信が繋がっている」
「何ですって!?」

 

『ッルルーシュ!?』
「スザクか!」
画面いっぱいに映っているのは泣きそうなほどひどい顔をしたスザクだ。テーブルに乗り上げんばかりに液晶に近づいている。
『よかった、よかった無事で……』
その緑の瞳は涙ぐんでいて、切なくなる。
『どきなさいスザク』
奥にはどっしりと椅子に構えたゲンブがいた。
『さてシュナイゼル殿……私の息子を返してもらいたい』
「養子になさったようですね。しかし彼は私の弟でもあるんですよ。それにここは彼の実の父親がいる」
『捨てておいて何を今更。君のしていることは誘拐だと思うがね』
「ではあなたのなさっていることは虐待でしょうね」
――虐待?
その言葉を聞いて浮かぶのはあの行為。まさかこの人はすべてを知っている……?
俺がされていることをシュナイゼルが知っているというのか? 何故? あまりのことに頭がフリーズする。こちらに来てからこんなことばかりで嫌になる。
ただ唯一分かるのは、シュナイゼルに最大の弱みを握られてしまったということだ。

『何を言っているのか分からないが』
ゲンブは流石の演技力で動揺を微塵も見せない。
「そうですか。ねえルルーシュ?」
「……俺も何の話か分かりません」
スザクが心配そうに見つめている。
「……そうかい。ならいいんだ」
シュナイゼルはあくまで余裕だ。
『君の目的は何だ』
「長年探していた弟が見つかったので迎えに行った。他に何の理由があるでしょうか」
『はっ! よくもぬけぬけと』
激昂するゲンブの様子に、俺は驚きを感じていた。そんなにこの人は俺に執着していたのか。
「しかし私も弟は可愛い。ですからその意思を尊重したい。彼は日本に帰りたいと希望しています。……なら仕方ない。そちらにお返しいたしますよ」
『本当ですか!』
また身を乗り出すのはスザクだ。
「ああ。君がスザク君だね。ルルーシュと仲良くしてくれてありがとう」
「は、はい……」
スザクもシュナイゼルの胡散臭さを感じ取ったのだろう。その表情は釈然としていない。
「では近いうちに無事に帰しましょう。それまで少し実の家族の時間を頂きたい。またご連絡します。それとあの件も」
『……分かった。くれぐれもよろしく頼む』
通信が切られる直前、俺とスザクはお互いを安心させるように頷き合った。

 

「ではルルーシュ。久しぶりにチェスでもどうだい?」
「分かりました」
シュナイゼルは俺に白を持たせた。つまりは格下に見られているということだ。
「実は父上からご指示があってね、今度から私が対日本外交を取り仕切ることになった」
兄は駒を持ちながらそう切り出した。
「そこで君のことを思い出した。私には遠い極東の地に追いやられた弟がいるとね。しかもその弟は優秀で、元首相の秘書をしているときた」
シュナイゼルはビショップを進める。
「それで俺に白羽の矢が立ったというわけですね」
「その通りだよ」
「あなたは俺に何を求めているのですか」
「……枢木ゲンブはタカ派の重鎮だ。そして私はどちらかといえば穏健派だということは君にも分かるね」
「つまり……あの人が邪魔だと? それで俺を人質にとって自分に有利なようにことを進めるのですか」
「流石だね、ルルーシュ。この私がここまで追い詰められるとは」
俺は白のナイトを握る。しかしその手が自然と震えるのが分かった。
「そう、そこで君に……頼みたいことがある」
黒のクイーンが迫る。俺のキングが生きる道はもう、ない。
「――枢木ゲンブを始末してもらいたい」