紅の天鵞絨10

 
「最近どうだ」
「なにがですか」
「下らん女にひっかかってなどおるまいな」
この人はいつもつっけんどんだ。
「どういう意味ですか」
「スキャンダルを起こされてはかなわんということだ」
「それぐらいわきまえてますよ」
 
父さんとの会話はやっぱり苦手だ。
マンションの前に横づけされた黒塗りの外車に乗せられて、僕とルルーシュは会場のホテルへと連れられている。
後部座席に僕と父さん。ルルーシュは助手席に座っている。
「大丈夫ですよ、先生。スザクさんは大学できちんと勉強してみえますから」
ルルーシュがくすくすと笑う。ルルーシュが僕に”さん”なんてつける必要はないって何度も言うのだけど、「切り替えというものは必要だ」とかなんとか言って聞き入れてくれないのだ。
「勉強と言ったってお前が何から何まで見てやっているのだろう。まったく昔から私に似ず体を動かすしか脳のない」
悪かったなというのは心の中に留めておく。確かにあまり成績がいい方ではないけど、かと言って悪くはないんだけどな。
 
学生生活は今のところ順調だ。ルルーシュと講義が被っていることが多いし、(だからと言って何から何までおんぶにだっこじゃないんだから)。彼は僕には理解できない数学とか物理の講義まで受けていて、まるで今までの生活から解放されたようにあらゆる分野を勉強しまくっている。僕は卒業に関係ない単位は一切取らない派なんだけど、ルルーシュは違うみたいだ。
その上秘書の仕事まで引き受けて、倒れてしまわないか心配になる。今日はそんな彼の仕事ぶりをきちんと見ておかなければと思っている。あまりに父さんが無理をさせていないかどうかチェックしないと。大きな会場を貸し切ってのパーティーは豪華だ。僕は今まで父さんの方針で表に出てこなかったから、こういう人の多い場は少し新鮮に感じられる。白いテーブルクロスの上には色鮮やかな料理たち。壁際に飲み物を盆に乗せて待機しているボーイの服装はタキシードでびしっと決まっている。
 
だけどそれよりも目を引くのはなんてったってルルーシュだ。ダークグレーにストライプが入った細身のスーツはベストまでしっかり着込んで、濃淡のブルーのシャツとネクタイを合わせている。自然に会場の女性の視線を集めてしまっていて、誇らしかったり、ちょっとむっとしたりもする。
ちなみに僕のスーツもルルーシュと色違いの生地で仕立てたものだ。僕のスーツは黒で、白いシャツとルルーシュとお揃いのネクタイは彼がコーディネイトしてくれた。
招待客は父さんと同じ党の代議士や大企業の役員などらしい。顔が分からない人だらけだとルルーシュに言えば、それではダメだと怒られてしまった。
「添え物だとはいえ、話す内容は考えたのか」
突然父さんが声をかけてきたから驚いた。そうだった、今日は僕も挨拶をする。
「分かってます」
「俺は手伝ったりしてませんよ」
ルルーシュは父さんに釘を刺すように言った。
父さんの身の回りのことをこまごまとこなすルルーシュは、会場に着いてから動きっぱなしだ。しかもどうやら招待客のリストの確認から乾杯のタイミングの打合せまでやっているみたいで、周りのスタッフたちも彼を頼りにしているのが分かる。
それも一段落ついたみたいで、今は父さんのネクタイを締めてやっている。それくらい自分でやれよ、親父め。
「ルルーシュ君はすっかり先生の女房役ですなぁ! スザク坊っちゃん」
というのは父さんの昔からの支援者からの声だ。秘書である以上、当然後援会の人々とも交流があるのだろう。その馴れ馴れしい呼び方にまたむっとする。こういう時自覚する。ルルーシュは僕だけのものではないんだ。
「そう、ですね……」
「本当にルルーシュ君は働き者で。私たち感心しきりなんですよ。最初はブリタニア人だなんてどうなることかと思いましたが」
こういうおじさんの言うことを笑顔で聞き流すのは得意中の得意だ。でもルルーシュの評価が良いようでほっとした。

 

時間になった。司会のアナウンスが入ると、ざわめいていた会場が水を打ったように静かになった。
「それでは只今より、枢木ゲンブ議員生活30周年記念パーティーを開催いたします。まず初めに、枢木より皆様にご挨拶申し上げます」
一段上がったステージに立ち、父は堂々と室内を見渡す。
「本日は私のためにこのような催しを開いて下さり、真に感謝の念に堪えません」
演説のように話す父の姿は悔しいけれどやっぱり威厳がある。
「今の私があるのも一重に皆様方の並々ならぬご支援のおかげでございます。現在の我が国の状況は――」
スピーチは中々終わりそうにない。ステージの反対側に控えているルルーシュを見つめていると、目があった。人に気づかれないよう口を小さく動かして「がんばれ」と言ってくれた。僕もうなずき返す。
そうこうしているうちに父さんが下に控えている僕を振り返り合図した。
「本日お集まり頂いた方々に愚息の紹介をさせていただきます。すでにご存じの方もいらっしゃるでしょうが、これが息子のスザクです。ゆくゆくは私の跡を継がせようと思っておりますので、何卒皆様方のご支援をよろしくお願い致します」
壇上に上がり一礼すると会場から拍手がわき起こった。それがおさまる頃を見計らってマイクに向かう。
「皆さま、枢木スザクです。この度は父の為にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
会場中の視線が自分に向けられている。薄暗がりの中、人々の目だけが空中に浮かび上がっているように見えて、少しの緊張し身が震えた。
「これからの日本を支える人物になれるように、皆さまのご期待に添えるよう精進してゆくつもりです。どうぞ父と変わらぬご支援のほど、よろしくお願い申し上げます」
拍手の中ステージから降りると、ルルーシュが笑ってくれていた。
これでもう父の世界から逃げられない。
でも、君がいれば。

 

「若先生! 立派なご挨拶でしたよ!」
パーティーが本格的に始まった。と同時におべっかを並べ立てる大人たちに囲まれて身動きが取れなくなる。
「先生なんてやめてください。僕はただの学生ですから」
「いやいや枢木家の息子さんだ。末は首相か大臣か」
「まったくですな」
「先生もこんなに立派なご子息を今まで隠しておくなんてお人が悪い」
この人たちも内心はそんなこと思ってもいないのだろう。その目はぎらぎらとした光に満ちている。
つまらない会話を笑ってごまかす。こういう時に酒が飲めたらなあと思うけど、未成年が堂々と飲むわけにはいかない。
今日はカメラも入っていてフラッシュがまぶしい。どれもこれもこれからの人生ずっとまとわりついてくるものなのだろうけど、今の僕にできること、二人を守る方法はこれしかない。
「スザク君は大学で何を学んでるんだい?」
「政治学です。やはり将来に向けて勉強できることはしておこうかと」
「それは素晴らしい心掛けだ。うちの息子とは大違いで」
そんな内容のない会話をしていると、ルルーシュが知らない男と二人きりでロビーへと出ていく所を目撃してしまった。僕はいてもたってもいられなかった。
「すみません、少し失礼します」
「ちょっと、若先生!」
背後からの声を振り切り、ドアへと足を向ける。笑いさざめく人並みをかき分け進むと多くの視線がついてきている気がする。
重い扉を開けると二人がひそひそと話しているのが聞こえてきた。

 

「ルルーシュ君、この前はとても楽しかったよ。ありがとう」
「ええ、私もです」
「本当に君は聡明で、会話が盛り上がるからいい。……君が他ならぬ枢木先生の所の人間でなければ、是非ともわが社にヘッドハントしたい所なんだがなぁ」
その人は三十代くらいの、まだ若い男だ。身なりからしてかなりの金持ちだろう。やけにルルーシュに親しげに話しかけている。
「それは大変ありがたいお言葉ですが、先生には育てて頂いたご恩がありますので」
ルルーシュの顔には冷たい笑みが張り付いている。僕は知ってる。あれはよそゆきの顔の中でもなかなか機嫌が悪い時の顔だ。
「確かに。孤児を、それもわざわざブリタニア人を養子としてお育てになるなんて、枢木先生は本当に慈善家でいらっしゃる」
「はい、感謝しております」
「しかし君らしくないな、恩義に縛られるだなんて」
君らしくない? あいつ、ルルーシュの何を知ってるっていうんだ。
男はそっとルルーシュに近づき腰を抱くそぶりを見せすぐに離した。
「ねぇまた出張に来てくれよ。いつでも待ってるから」
「はい、ではまたご連絡差し上げます」
背を向けながら手を振る男の背にルルーシュは頭を下げた。やっと僕の存在に気づいたのはルルーシュが頭を上げた後だった。ルルーシュはなにかはっとした表情を浮かべた。
彼のほうへ近づいていくと、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「今の、誰?」
「取引がある企業の社長だ。何回か先生と一緒に食事をな」
「ふーん……」
「最近業績を伸ばしているベンチャー企業だ。政界進出でも狙っているんじゃないのか? ああいう既存権力からおこぼれを貰おうとするやつは嫌いなんだよ」
さっきの奴がよっぽど気に入らなかったのか、ルルーシュは苛立たしげに前髪を掻き上げる。
「それよりスザク……お前ここで何してる。主役が抜け出してきてどうするんだ」
「僕は君が心配でっ」
「俺のことはいいから」
有無を言わせない強い口調だ。
「自分の役目をきちんと果たせ、スザク」
そうだね。君は自分の役目を果たしている。
「ああ、分かった」

 

二人でにぎやかな会場へと戻る。するとカメラを首に提げた記者が大仰な身振りで近付いてきた。
「スザクさんに、あなたは先生の秘書のルルーシュさんですね。初めまして、記者をしておりますディートハルト・リートと申します。以後お見知りおきを」
にやついた顔のまま名刺を差し出してくる。ぴょんと出た前髪が特徴的な人だ。
「あなた方は実に映える。ツーショットを撮らせていただいても?」
「折角ですが、若先生はまだ不用意なメディア露出は避けたいので」
「それってあとで僕たちにももらえますか?」
「っスザク!」
「ははは、もちろん差し上げますよ。ではよろしいですかね」
実は今まで僕たちはあまり写真というものを撮ったことがない。子供の成長を記録して喜ぶような親ではなかったからなのだけど。
「いいじゃない、ルルーシュ。たまには」
ね、と首を傾げて頼めばルルーシュは断らないってことを僕は知ってる。いざという時のおねだりテクニックだ。
「仕方がないな……。一枚だけですからね。あとなにかに使う際は必ず事務所まで連絡を」
「はい、承知しました」
二人並んでレンズを見つめる。カシャッと鳴るシャッター音。
「美しい……! では事務所の方にお送りしますので」
軽く一礼してディートハルトは去っていった。
「スザク、これから嫌というほど撮られることになるんだからな。ないとは思うがまずいところを押さえられないように」
「分かりました! さっきから小言ばっかりだよルルーシュ」
幼い子供に言い聞かせるような言い方に思わず吹き出すと、ルルーシュは僕にだけわかる程度にむくれた。
「だって君と写った写真なんてほとんど無いじゃないか、欲しかったんだ。今日の君はすごくかっこいいし」
「な、なに言って」
また人には分からないくらいに表情が変わって、今度は顔をほんのり薄く染めるルルーシュをかわいいと思う。

 

全てが終わって解放されたのは日付も回った頃だった。
「あー疲れた!」
ぼすっとソファに倒れこむ。今日は本当に疲れた。肉体的にではなく、気疲れだ。
「こらスーツがしわになるだろ」
「ルルーシュも疲れたでしょ、おいで」
仁王立ちで僕を見下ろしていたルルーシュをソファへと座らせる。急に衝動に駆られて、頬に両手を添えて唇を合わせる。
「……今日ずっとこうしたかったんだ。なんだか君が遠くなっちゃったみたいな感じがして」
耳許でささやくとルルーシュは口を尖らせながらかわいいことを言ってくれた。
「俺だって、お前も大人になったんだなと思ったら……」
「思ったら?」
「かっこよかった……っ」
「もう、ルルーシュ!」
本当にかわいいんだから! 抑えきれなくなって顔中にキスを降らす。
「ねえ今日あり? なし?」
「今日はなしだ! シャワー先に使うからなっ!」
「はは、了解」
二人で僕のベッドで眠る。今日はお断りされちゃったからなしだけど、後ろから抱きしめるくらいは許される。
「スザク、お前本当にこの世界でやっていくつもりなのか?」
ルルーシュがぽそぽそと話し始めた。
「ああ。もう決めたんだ」
「お前にはあんな汚い世界に合わないと思う……。本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって。僕が意外に図太いの知ってるだろ。それに」
彼を腕に強く抱く。
「君がいれば、どんな世界もきれいだよ」
「……そうか……」
やっぱりルルーシュは疲れ切ってたのかすぐ眠ってしまった。
たぶん今日考えてたことは同じだよね。お互いどんどん成長してる。僕も君において行かれないように頑張るから。

 

「おいおいスザク、ルルーシュ! お前ら雑誌デビューしちゃったのな!」
昼ご飯を二人で大学のカフェテラスで食べていると、飲み友達のリヴァルが話しかけてきた。
「……なんだって? ちょっと見せてみろ」
「ああ!」
ルルーシュは険しい顔でリヴァルから雑誌をひったくった。男子大学生には似合わない女性週刊誌だ。覗き込むと『若き御曹司と美形秘書』という見出しが目に入った。
「これあの時の写真……」
「あの記者め! 聞いてないぞこんなこと」
ルルーシュはひどく憎々しげに呟いて雑誌をテーブルに叩きつけた。そして携帯を手に人のいないところへ行ってしまった。あの記者に抗議の電話をかけるのだろう。
「やっぱスザクってすげえのなー。御曹司だって」
「いやリヴァル。有名なのは父さんであって僕じゃないから。僕は僕だよ」
そんな返事を返しながら記事をよくよく読んでみる。内容はパーティーのことはそこそこで、僕たちが枢木議員の息子と秘書であることと、あとは外見のことしか書いてなかった。そういえば今日は周りがざわざわしていた気がする。
前々からこの名字で注目されるのは慣れていたけど、改めて周りを見渡すと一層興味深げな視線を感じる。なんでもないように振る舞うのは慣れてるから大丈夫なんだけど、ルルーシュはどうだろう……。写真を撮らせたのは軽率だったかな。
「あ、ルルーシュ」
「くそっ、繋がらない。なんだこの下らない内容は」
「まぁまぁルルーシュ。イケメンに写ってるぜ?」
「リヴァル、次のテスト覚えてろよ」
「それだけはご勘弁を!」
ほほえましいやり取りに思わず笑ってしまう。リヴァルはいい奴で、ルルーシュにも友達ができて本当に良かったと思う。
「なに笑ってるんだスザク」
「んー、なんでもない」
その記事が僕たちに新たな騒動を呼ぶことになるとは、このころはまだ知らなかった。

 

 

雰囲気小説ですみません……ちょっとあまあま。